HISTORY




トレガーアプローチを開発したミルトン・トレガーは1908年にシカゴに生まれました。生まれつき背骨が変形していて、どちらかと言えば病弱だった体を克服し、彼は体操やダンスで頭角を現すようになりました。
十代の終わりに家族とマイアミに移った彼は、プロのボクサーになる訓練を始めました。
ここで、彼は効果が持続するボディワークのテクニックを発見したのでした。


彼のトレーナーであるミッキー・マーチンは、練習の後、ミルトンをよくマッサージしていました。
ある日、ミッキーがとても疲れた顔をしているのを見て、ミルトンは逆にマッサージしてあげたのです。
マッサージを受けた
ミッキーは彼の手の感覚に驚き、ミルトンをとても褒めました。そこで、彼は自宅に帰り長年座骨神経痛で悩んでいた父親に施術してみると、2回のセッションで治ってしまったのです。


そこから、彼の人生をかけた探索が始まったのです。ミルトンは様々な症状を持つ人にワークをして行きました。気腫を持った人、喘息、筋萎縮症、小児麻痺、ぎっくり腰など、彼のタッチで大いに楽になったり、奇跡的な回復を見せたりしました。
小児麻痺で5年間車椅子の生活をしていた19才の彼の友人が、車椅子無しで歩けるようになったこともありました。


しかし、ミルトンは常に彼自身をヒーラー(癒す人)だとは呼びませんでした。
彼は「私にはこれができ、そして、効果もある。でも、人は、みんなヒーラーさ」と良く言っていたものです。


このように、様々な障害を持った人から得られた結果を見て、医学界にも貢献できるはずだと思った彼は、42才の時、アメリカ中の医学校に入学の申込み書を送りましたが、全て年齢を理由に断わられました。

「私の大きな目標は、理学療法士に私のワークを教える事だ」と、彼は言っていました。そして、ついにスペイン語も話せないまま、メキシコの医学校に受け入れられたのです。
その大学は、在学中、ミルトン専用のクリニックを設け、彼にワークを続けさせました。そして、6年後の1955年に念願の医学博士号を取りました。


ミルトンは、その後20年間、施術を続けましたが、いつも、これを人に伝えられないことを残念に思っていました。
そんなある年、カリフォルニアにあるエサレン研究所に呼ばれて、デモンストレーションを行った時に出会ったベティ・フラー女史が、彼のワークに感動し、 1980年にトレガー協会を設立し、トレガーアプローチとして、資格を持つ人々を教えるコースが始まりました。


ミルトンが、医学界にも貢献したいと思った時から40年経ち、ホリスティック(全健康的)な考え方を持つ医者、看護士、理学療法士などが彼のワークを、各自のワークに生かすようにもなりました。

 

トレガーアプローチは、ミルトン・トレガー博士が18才の時の思わぬ発見が発端となりました。その後、50年間をかけ、その発見をより洗練し進展させたものです。
感 覚を重視し、人には、伝えることができないだろうと思われていました。それを普通の人なら引退を考える時期に、彼は、教えてみることにチャレンジしたの でした。その結果、有資格者と認められるプラクティショナーが米国を始め、ヨーロッパ、カナダ、オーストラリア、日本などに何千人も誕生しました。
1997年1月に、20年以上に渡ってトレガーアプローチを教えて来た彼は、88才でその生涯を閉じました。

 

 

日本でも、1998年に12名がカリフォルニアの「レベル1」コースに参加して以来、毎年、1〜2回の「レベル1」コースが行われるようになりました。トレガーの奥深さを求めて、様々な方々が、会員となっています。
2020年1月末現在、TAJに所属するプラクティショナー(有資格者)は、北は福島県、南は沖縄県、海外在住のメンバーを合わせて33名です。